2017年3月27日(月) 東洋学園大学 本郷キャンパス 会議室にて収録。
《参加者》(所属は当時のもの)
鈴木 義也 (すずき・よしや:東洋学園大学教授、臨床心理士、学校心理士)
深沢 孝之 (ふかさわ・たかゆき:心理臨床オフィス ルーエ代表、臨床心理士)
箕口 雅博 (みぐち・まさひろ:立教大学名誉教授、立教セカンドステージ大学兼任講師、臨床心理士)
八巻 秀 (やまき・しゅう: やまき心理臨床オフィス代表、駒澤大学教授、臨床心理士)
以下、苗字(敬称略)
(八巻)
今日はお忙しい中、お集まりいただき、ありがとうございます。
もう一昨年(2015年)になりますが、私たち3名(鈴木・深沢・八巻)が共同で執筆した『アドラー臨床心理学入門』(アルテ2015年5月発売)は、アドラー心理学の臨床理論を満遍なくご紹介した本だったのですが、その第二弾の本として、それぞれが実際の臨床現場において、アドラー心理学を臨床実践しているその基本姿勢のようなものを紹介できたらと現在執筆中です。(2017年8月に遠見書房から発売「臨床アドラー心理学のすすめ〜セラピストの基本姿勢から実践の応用まで」)
その本の形としては、それぞれが各章を担当執筆して、その各章に対して、他の執筆者がその章で書かれていることに対してコメントしていく、そんな感じで作成しようと思っています。
今回の座談会は、その本の最終章に加えられたらと思いまして、執筆者3人に加えて、昨年アドラー心理学とコミュニティ心理学の統合を目指す本を出された立教大学名誉教授の箕口雅博先生を交えて、「臨床アドラー心理学」について、お話をする機会を作らせていただきました。
まずは、箕口先生から、長い心理臨床活動の中で、先生がどんな風に「アドラー臨床」を捉えて、またどんな風に実践していっているのかを、お伺いしながら、4人で自由に話し合えたらと思います。
(箕口)
私は元々コミュニティ・アプローチから出発してアドラー心理学と出会い、この二つのアプローチを臨床実践に活かしたいという思いから、『コミュニティ・アプローチの実践 ―― 連携と協働とアドラー心理学』(遠見書房 2016年3月)というタイトルの本を私の仲間や教え子たちと協働してまとめました。この本の第Ⅰ部では、「コミュニティ・アプローチとアドラー心理学の交叉点」と銘打って、日本の代表的なアドレリアンのおひとりであり、私にアドラー心理学と出会うきっかけを作っていただいた星一郎先生、それに、アドラー心理学の実践と研究をともに学んできた浅井健史先生の三人で座談会をおこないました。
星先生とのお付き合いは長く、私が大学院を出て東京都の心理職として採用され、その当時、美濃部都政のもとで、国に先駆けて設立された都の医学系研究所のひとつである「東京都精神学総合研究所」に配属されまして「社会精神医学研究室」の研究職に就いたのですが、そこの非常勤研究員でいらした星先生と出会い、星先生を通してアドラー心理学のことを知りました。
アドラー心理学の学びは、野田俊作先生の東京での講座や研修会に参加することを通して行っていました。また、ヒューマンギルドで、野田先生がシニアカウンセラー、私がジュニアカウンセラーを務め、私のクライアントに参加してもらい、1セッションのオープンカウンセリングを経験する機会もありました。
(八巻)
野田先生のオープンカウンセリングに参加されたのですね。どうでしたか?
(箕口)
1セッションでしたが、クライアントが前向きになり、建設的な考え方ができるような傾向がみられました。その後、私の方で継続カウンセリングを行っていきました。揺れ幅が少し安定していきました。
先生方は、オープンカウンセリングのご経験はありますか?
(深沢)
はい。カウンセリングを見られるという事が、当時としては非常に衝撃的でした。こんなカウンセリングの形があるんだと。それまでのカウンセリングの常識を覆すというか。オープンカウンセリングを見に来る先生方がたくさんいらっしゃいましたね。
(箕口)
臨床心理士の資格がまだなかった1987年頃、私がオープンカウンセリングに参加していた当時は、専門家はあまり見にきていなかったようでした。幼稚園教諭や保育士、主婦層の方が多かったように思います。
専門家ではない方とオープンカウンセリングを学ぶことは、今も画期的な事ですが、当時はもっとそう感じていました。
箕口雅博(みぐち・まさひろ):
立教大学現代心理学部心理学科名誉教授。
臨床心理士。専門はコミュニティ心理学、臨床心理学、多文化間心理学。
中国帰国者、留学生の相談に応じた経験やパレスチナ難民の支援など、様々なフィールドやコミュニティでの心理臨床活動を行ってきた。
座右の銘は「軽快なフットワーク、綿密なネットワーク、そして少々のヘッドワーク」。
愛煙家でもある。
著書には『改訂版 臨床心理地域援助特論』[編著](放送大学教育振興会)、『よくわかるコミュニティ心理学』[共編](ミネルヴァ書房)など多数の著作がある。
(2017年当時のプロフィール)
(深沢)
あの時代、アドラー心理学は勢いがあったんですよ。野田先生のカリスマ的な存在感が、専門家の中でも注目されていました。日本アドラー心理学会ができて間もない頃でしたし。
また、星先生は90年代終わりにアドラーの本を沢山出版されて、一時期話題になりましたよね。私の周りは、星先生の本でアドラー心理学を知ったという方が多いですね。あの当時、一般向けのアドラーを書いているのは星先生だけでしたよね。
(鈴木)
「アドラー博士シリーズ」は何冊も読ませていただいておりますが、アドラーをすごく噛み砕いて一般人にわかりやすく書かれているといったような内容ですね。
(深沢)
私は児童相談所の仕事に就いたのは1990年頃で、アドラー心理学は1988年頃だったか、岩井俊憲先生と出会って学び始めました。ただ、アドラーが面白いぞ、さあアドラーで臨床をやるぞと思っても、日本には臨床の文献がほとんどなかった。
(箕口)
最初に出た「実践カウンセリング:現代アドラー心理学の理論と技法」(ヒューマン・ギルド出版部)が唯一。
(深沢)
あれが手掛かりでした。以来、翻訳や一般書は多少ありましたが、どなたも専門書のようなものは出していませんでした。寂しかったですね。同僚や上司も誰もアドラー心理学を知らないし、日本心理臨床学会や研修会でもアドラーのアの字も出てこない。半ばあきらめていましたが、25年以上も経って、まさか自分が本を出すとは思わなかった(笑)
深沢 孝之(ふかさわ・たかゆき):
山梨県甲府市にある「心理臨床オフィス・ルーエ」代表。
臨床心理士。臨床発達心理士。シニアアドラー・カウンセラー。
山梨県の児童相談所や県立中央病院などで勤務の後、現職。山梨県臨床心理士会副会長なども務めている。山梨県を中心にアドラー心理学の活動を行っている。
長年ブログ「山梨臨床心理と武術の研究所」もやっている。
全日本柔拳連盟甲府支部長(気功法、太極拳等武術の稽古と指導)という武術家でもある。
(2017年当時のプロフィール)
一同(笑)
(鈴木)
なぜアドラー心理学が停滞したのかというと、協力体制による組織的広がりがなかったのかなと思います。フロイトやユングやロジャーズは学閥とも絡んで組織的に広がっていったように思います。
(箕口)
一種のヒエラルキーですね。
(鈴木)
個人の力ではなかなか難しい。他の学会でも定期的な研修会の必要性が言われていますが、アドラーの学びのためにも、定期的な学びの場があるといいと思います。そのために、学会発表や出版や研修会などで発信することが必要だと思っているんです。
(八巻)
日本支援助言士協会とやまき心理臨床オフィスが、2017年1月に共同開催した「アドラー臨床心理学入門ワークショップ」のような、私たち3人でのワークショップもまたやりたいと思っていますが、そのようなワークショップが開催できるのは、せいぜい年に一度くらいですね。やはりもっと定期的な学びの場があるといいですね。
(鈴木)
それをさらにすすめた形にしていくと、個人や個々の組織が参加するリーグのようなゆるいつながりがいいような気がします。
(深沢)
企業のような組織は広める力がありますが、それだけでは質の維持、向上が難しいような気がします。学会や研究会のような形は、最先端の情報や自らの実践のフィードバックを得る機会となります。人が育つ場になり得るかもしれません。
(鈴木)
箕口先生が「日本コミュニティ心理学会」をコアメンバーで作られたということも、そういったご経験もあっての事だったのでしょうね。
(箕口)
1965年にアメリカで「コミュニティ心理学」が誕生しましたが、それを日本に導入・展開されたのが、山本和郎先生(慶應大学)と、星野命先生(国際基督教大学)と、安藤延男先生(九州大学)でした(今は3人ともお亡くなりになっているんですけれど)。そして、1969年の日本心理学会のシンポジウムで、「コミュニティ心理学の問題」というテーマのもとに話し合われたのが、日本におけるコミュニティ心理学の始まりです。
それ以降、1975年から約20年間、毎年1回、「コミュニティ心理学 シンポジウム」を2泊3日の温泉合宿形式で全国で開催していました。
一同 いいですね~。
(箕口)
結構ハードで、朝から夜まで実践や研究報告をして、その後温泉に入るんです。大学院生の頃でしたが、偉い先生方と膝を交えて一緒に飲み交わすという接触がとてもよかったですね。そういうのは大事ですよね。
(鈴木)
今は臨床心理学の教科書に必ず「コミュニティ心理学」の概念が載っていますよね。
(箕口)
当時のコミュニティ心理学の実践や研究は、なかなか業績にはならないんですよね。学会誌とかには論文として掲載される機会はほとんどなかったですし、研究としては成り立たないような実践であったりするので。
「コミュニティ心理学シンポジウム」の活動を積み重ねていく中で、山本先生や安藤先生が中心となって、本は2冊ぐらい出版されたんですけれど。
若い方には学術誌が必要という事で、刊行会を一年間続けたんですけれど、その後いっそのこと学会にしましょうという事で、原裕視さん、久田満さん、私が中心になって立ち上げました。
ただ、今までのシンポジウムの形を続けたいという思いが、山本先生や星野先生、安藤先生にはあったのですが・・・。学会にすると予算や事務局などの負担が重くなるのではないかということもあって。
我々は第二世代として、学会を作りたいと、山本先生が入院されていた時に3人でお見舞いに行き、お願いをしにいったんです。
あとから、まわりの先生たちに、「山本先生が入院されている隙をついて、学会を立ち上げたんじゃないか・・・」と言われました。
一同 (笑)
(箕口)
・・・ということで今まで続いてきているんですけれど・・・
今も、研修会は、温泉合宿のシンポジウム形式で、じっくり取り組みたいという声もありますが、なかなか実現が難しくて、あまり実施できていません。
(鈴木)
オフィシャルな学会の形にすると、いろんな縛りや細かい業務の煩雑さに追われてしまって、同業としての仲間同士の良さがなくなってしまうというのは、どこの学会にもあるんでしょうね。
(箕口)
例えば学会にすると、会計業務とか会員管理とか、そういった専門性をもった者がいないから、きちんとした形で継続していくのは難しい。一方、それまでのシンポジウムだった時は、1回限りでいいので、楽ですよね。
(八巻)
そういう煩雑さがあっても学会の方がメリットがあるというのは何でしょうか?
(鈴木)
研究業績にもなるとか、社会的な信用とか、心理学の仲間に入れてもらえるとか、宣伝効果もあります。
(八巻)
社会への広がりと仲間内、どっちも必要ですよね。
一同 同意
(八巻)
学会はともかくとして、どういった形になっていくかわからないのですが、ここまでアドラー心理学が世の中に浸透してきて、多くの方が必要になってきている、という機運があるように思えるのですけれど・・・
(鈴木)
「日本臨床・教育アドラー心理学研究会」では、春に研究会、秋に研修会で年2回という形をもう6年やってきています。
「会員になるにはどうしたらいいですか」とよく聞かれるのですが、会員制ではない毎回自由参加です。でも、そろそろ参加者も会員として組織化したら親交が深まるかもしれません。
鈴木 義也(すずき・よしや):
東洋学園大学教授。臨床心理士。学校心理士。
大学で教鞭をとる傍ら、精神科クリニックにも勤務。
早くからアドラー心理学に注目し、2005年には「初めてのアドラー心理学」(一光社)を翻訳。
アドラー心理学はもちろんのこと、ブリーフセラピーの解決志向アプローチ等の造詣も深い。日本臨床・教育アドラー研究会の会長などの要職を勤めている。多肉植物をこよなく愛し、その収集が趣味。
(2017年当時のプロフィール)
(八巻)
私は今は「日本ブリーフサイコセラピー学会」において、アドラー心理学もブリーフセラピーとつながっている部分は多いということを理解していただくという活動を、ここ数年しているんですね。
そこでは来年から「ブリーフサイコセラピーセミナー」という月1回ぐらいの定期的な学びの場を作ることになったんです。
私としては、そのセミナーの中のプログラムの1つに、ぜひアドラー心理学を入れてもらえたら〜と思っているんです。
実際、今年2017年夏のブリーフサイコセラピー学会の松山大会でも、アドラー心理学の入門ワークショップが企画されたりして、これまでも我々3人で学会で発表したりした成果で、ブリーフ学会の中でのアドラー心理学というものが、だいぶ浸透してきたように思えますね。
ブリーフセラピーに興味がある人達に対して、その来年から行われるブリーフサイコセラピーセミナーが、ブリーフセラピーのいろいろな理論のテナントがあるデパートのような状態にして、その一部にアドラー心理学を紹介する。それを入り口にして、もし興味を持ってもらえたら、と思っているんです。
でも、そこを通してじゃあアドラー心理学の本店に行きたいといった場合に「実はありません」みたいなことが、今のままだとあるかもしれない。
一同(笑)
(八巻)
「臨床アドラー心理学」を冠にした定期的な学びの場は、やっぱり欲しいかなと思いますね。
(鈴木)
ほんとうにそうですよね。たくさんの人を逃している。私たちの周りにもアドラーを学んだとか、学びたいという人がいるのですが、学びの場は「ない」と言うしかなくて、もったいと思っていますね。
(八巻)
作りますか? 私たちが〜笑。
アドラー心理学の核になるものを仮に作ったとしたならば、汎用性が高いアドラー心理学なので、コミュニティ心理学とコラボでやりましょうとか、ブリーフセラピーとやりましょうとか、いろいろ出来ますよね。
(深沢)
合同開催がやりやすくなりますね。
山梨のアドラー仲間のS先生に先日お会いした時に、「日本個人心理学会」という本名にしてはどうかと言っているんですよ。Individual psychology。アメリカもThe North American Society of Individual Psychology ですから。
わかりにくければ括弧で(アドラー)をつけたらいいのではといってましたけどね(笑)。それもそうだなと思いました。
(八巻)
シンプルでいいですが、学会名称「日本個人心理学会」ですか〜。
(注: 「日本個人心理学会」は、この後、2019年3月に設立されました。)
一同 うーん・・・・・・
(深沢)
誤解を受けますよね(笑)。だからアドラーになっちゃうんだけど、あえてというか。
(鈴木)
歴史的には「個人心理学会」は、正しい名称ですよね。カタカナで、インディビジュアル心理学会とか。
(八巻)
頭文字をとって「Id心理学会」・・・ちょっとカナシイな~(笑)
(鈴木)
星先生や箕口先生も研究会をされていますし、皆様で集えたらいいですね。
(八巻)
今、その意義は大いにありますね。そうすると、いろんな方にとっての研究の場も出来るし、学びの場も出来るし、そうなってくると層が広がって、若い方達にも学べる場ができますし。
ちなみに星先生は、学会を作るという発想はもたれなかったのでしょうか。
(箕口)
星先生との座談会(「コミュニティ・アプローチの実践─連携と協働とアドラー心理学」)の中でもおっしゃっていましたが、基本的にアドラー心理学というのは、対等性を重視するということで、専門家を否定する感じがありますし、資格を前提とした学会や権威を否定されています。
(鈴木)
「学会=権威=縦関係」となるので、対等ではなくなるという感じでしょうか。
一方で、認定医資格のように学会が資格を出せば、インセンティブ的に研修に人が集まるという外発的動機付けを作り出せます。
(八巻)
今、話を聴いて思ったんですけれど、本当の意味での「対等」とはなんだろうか、と。
アドラー心理学でいうところの「対等性」。資格もない専門家もいないこと、それだけが、はたして「対等」なんだろうか、と。何かそのような違いがあっても「対等」という事ではなかったですか。
(深沢)
私もそう思います。
(八巻)
例えば、大人と子供とか。先生と生徒とか。違うじゃないですか。でも「対等」ですよね。クライアントとセラピストなんかはお金を払っている方ともらっているのと、違うけれど、「対等」と考える。
(箕口)
専門性をもつことが、差別構造に加担し、搾取につながるのではないかと、昔の臨床心理学会では、資格や専門性を否定していました。
一種のその当時のイデオロギーですね。
昔の臨床心理学会では、患者さんも会員として入ってきてたんですね。そんな中で、専門性を持たず一人の人間として関わるというようなイデオロギーが根底にあったんだと思います。
(八巻)
その話を聴いていると、いま学んでいる「オープンダイアローグ」では、「専門性の鎧を脱ぎ捨てられますか」という標語のようなものがあって、患者やその家族と病院のスタッフが「人として関わる」という似た事を言っているんです。でも、その言葉は、今の話とは全然違うものに聞こえてくるんですよね。
なぜかというと、オープンダイアローグに関わるスタッフ(セラピストチーム)は、徹底的に家族療法の専門的な学びをしている。一方で実際にオープンダイアローグを行う時の関わり方は、まさに人として「素」でいくわけです。
(深沢)
資格は捨てないわけですよね。
(八巻)
オープンダイアローグの治療ミーティングでは、その場で思いついたことを話すべきで、知識経験はその場の対話の中に持っていかない、という約束事があるんですよ。その対話の流れの中で、セラピストは思いついた事(リフレクション)を言っていくんです。それは、家族療法の専門性を鍛えたからこそ、出てくるその場のリフレクションがあるわけですよ。そのような現象を、私は「専門性が滲み出る」という表現を使っているんですけれど、それは「対等」の範囲に入っていると思っているんですよね。
そのために資格をもって学んでいくことはすごくいい事だと。何も勉強しないで、人間同士ただ会おうという世界とは違うと思うんです。
アドラー自身も臨床をやる上で、そのようなスタンスだったんじゃないかと思うのですよね。
八巻 秀(やまき・しゅう):
東京都立川市にある「やまき心理臨床オフィス」代表。
臨床心理士。指導催眠士。
駒澤大学文学部心理学科教授でもある。
精神科クリニックやカウンセリングセンターなどで家族療法やブリーフセラピーを実践する傍ら、細々とアドラー心理学を学びつつ実践してきた。現在は、オフィスで臨床実践を継続しつつ、産業カウンセラー協会や各地の教員研修、臨床心理士会研修などで、アドラー心理学についての研修講師を担当する機会が増えている。
こよなく蕎麦と日本酒を愛す、グルメな酒豪でもある。
(2017年当時のプロフィール)」
(鈴木)
アドラーも学会を作りましたしね。権力のために組織化するのではなく、目的論で言うと、アドラー心理学を広めていく機能として組織化していくことがあってもいいのかなと。
(八巻)
(2017年1月に)3人でやったワークショップで、同じテーマでも3人の切り口がそれぞれ違って、お互い刺激になっているし、一つの質問でも講師3名の三通りの答えがあって我々も面白かったじゃないですか。
それが学会になると、100人100様で、何年経っても「アドラー心理学とは何であるか?」と自由に考え続けていけるような(笑)、面白いものになっていくのではないかと。
(鈴木)
我々は第二世代として、親の家業(アドラー)を継ぐか、家を出る(アドラーを捨てる)かみたいなところで、微妙じゃないですか(笑)
(八巻)
それで世間にも注目されているし(笑)
(深沢)
じゃあ継ぐか、みたいな(笑)
一同 (笑)
(鈴木)
古い伝統的な酒造りではなく、女性にも受ける原材料の味を生かしたフルーティーな味にして、ラベル刷新してみたいな。
(八巻)
鈴木先生、お酒飲まないのに、グルメな飲ん兵衛みたいに詳しいね~(笑)
(鈴木)
お酒もそうですけど、コーヒーも紅茶も変わってきているんですよ。ブランドやブレンドで誤魔化すのではなく産地や農園の違いを生かして、もっとストレートな美味しい飲み方になってきている。流通や情報のなかった時代とは変わってきている。だから二代目は変えていくかみたいな(笑)
(八巻)
どう作っていくか近々の課題ですね。
あとは、心理臨床の専門家をどういう風に育てていくかという事が一番足りないですよね。
一同 同意
(八巻)
野田先生も岩井先生もカウンセラー養成のための研修はやっているけれど、講師一人だけなんですよね。そのプログラムでは、やはり個人ひとりの考え方に偏ってしまう。やはり多様性のある講師陣で、一つのプログラムを作る事が、専門家の養成には大事な事かなと。
箕口先生がやられている「IP心理教育研究所」は、そこは意識されていらっしゃいますか?
(箕口)
そこまで意識できるといいのですが…IP心理教育研究所で開催している「アドラー心理学講座」や「東京アドラー心理学研究会」でも、継続して学ぶメンバーがなかなか出てこなくて。どちらかというと学生中心に開催してきたので。長くは続けているのですが、深まっていかないというか。でも、IP心理教育研究所の「アドラー心理学講座」では、浅井健史先生をはじめとして、これまで継続して学んできた仲間の皆さんに講師を務めていただいています。
(深沢)
箕口先生の『コミュニティ・アプローチの実践─連携と協働とアドラー心理学』(遠見書房)を開くと、たくさんの方がほとんどの対人支援分野の専門機関にいらっしゃって分担執筆されていたので感心しました。ある種のネットワークになっているのかなという印象がありました。箕口先生のもとで勉強されてきた方々なのだろうと思いました。
(箕口)
そうですね。「東京アドラー心理学研究会」に継続的に参加していた私のゼミ生や、臨床心理士、社会福祉士の資格をもって現場で活動している大学院の修了生などですね。
(八巻)
卒業して社会人になってからはなかなか参加される方が少ないと・・・
(箕口)
そうですね。「東京アドラー心理学研究会」は月一回開催していて、時間が空いて久々にきてくれる方もいらっしゃいますが・・・ 平日の夜に開催というのは、現場をもっている方にとって、参加したくても時間が取れないという理由も大きいと思います。今後は、その辺を工夫していきたいと考えています.
(八巻)
2013年に、駒澤大学でブリーフサイコセラピー学会の大会を開催したんですが、それをするにあたって、開催する前年から助走をつけるつもりで「駒沢ブリーフサイコセラピー研究会」というのを作って、月1回講師を呼んで開催したんですね。その中では、ブリーフセラピーの様々な流派の中にアドラー心理学を入れてやったりしていました。大会が終わった後も1、2年続けたのかな。でもそれは、私のオフィスのスタッフの一人が、当時「駒澤大学コミュニティ・ケアセンター」に助手としても在籍していたので、二人が核になって協力してやれたんですよね。その人が昨年末でケアセンターをやめてしまって、私と学生だけだと会を運営していくのは難しくなって、今はその研究会は開催していないんです。仲間がいないと開催はなかなか難しいなと思いましたね。
(鈴木)
また、どこにも属していないとなると、なお難しいですね。そうなると仲間で持ち回りで役割分担でやっていくような形になりますよね。
臨床心理士ポイントになるぐらいは、いいかも知れないですよね。
(深沢)
臨床心理士の更新ポイントを得るためには申請規定があり、比較的クローズドで、臨床心理士向けの研修であるという条件を満たす必要があります。
(鈴木)
今の日本臨床・教育アドラー研究会は臨床心理士より教員の方が多いです。
(深沢)
だから、学校心理士のポイントにはなっているんですよね。
(鈴木)
でも、臨床心理士のポイントにはなれないんです。
(八巻)
難しいですよね。アドラー心理学の持っている汎用性の中で、どんな人にも参加可能な学会を作りたいと思う一方で、臨床心理士のアドラー的な学びをレベルアップさせるのは、まさに臨床心理士向けのセミナーを開く必要があるしで・・・
(深沢)
二つやらなきゃダメですね。二つ以上。(笑)
(八巻)
大野望だけど、学会作って分科会で臨床心理士とかいう形になるかな。壮大だよね。
・・・・それで、何からできますかね、みなさん。
(鈴木)
まずは、温泉合宿みたいな、ギルド的な仲間同士でゆるくやるものがいいのではないでしょうか。
(八巻)
コミュニティ心理学会の温泉合宿は、講師料をお支払いするんですか?
(箕口)
シンポジウムの開催地で独自のコミュニティ活動に取り組んでおられる方をゲスト講師としてお呼びする場合は講師料をお払いしますが、原則として、宿泊費も含めた参加費は全員で割ります。また、全員が何らかの役割を持って参加する事がルールでした。大体30名程の参加人数でした。部屋に別れるといってもせいぜい6人ずつで、そのくらいの部屋はちょうどいいんですよね。それでそのメンバーがコアになっていくんですよね。
(八巻)
講師料が支払われる形とは全然違いますよね。主体的に参加するので、個が鍛えられますよね。
(深沢)
コアメンバーを作っていくためには、今の話はすごく参考になりますよね。講師料が発生するものだと、教える・教えられるという形にどうしてもなりますしね。
(箕口)
院生クラスの参加者も多かったですね。
(八巻)
若い臨床を志す人達と合宿やりたいね~笑。
(深沢)
アドラー・カウンセラーでコンサルタントやコーチングの方もいらっしゃいますし、あと公認心理師ができたり、医療や看護、福祉などで、アドラー心理学に関心を持つ人がこれまで以上に増えていくでしょう。その中では例えば、「コミュニティ心理学」と「アドラー心理学」の共通して重なる部分をプラットフォームにすれば、お互いに語り合うことができると思います。そして八巻先生がおっしゃったみたいに、時にはそれぞれの分科会みたいなところで研修会をやって分野別の研修証明書や認定証を出す、とかいったことが可能かもしれません。
(箕口)
そういった意味では、対人援助職の方とかも入りますよね。
(八巻)
そうですよね。アドラー心理学の考え方は、弁護士、家裁調査官、保護観察官とかにも大事だと思いますし、また求められていますしね。
(深沢)
箕口先生にお聴きしたいのですが、臨床心理士でコミュニティ心理学をやっている方というのは、表現の仕方とか、研究のスタイルとか、他の臨床心理士と何か違いはありますか?
(箕口)
大学院ではコミュニティ・アプローチの科目はありますが、実際の姿勢として身に着けるところまではなかなかいかないのですが、その中でも、センスや姿勢を身に着けて欲しいという心づもりで取り組んでいました。
実際、ゼミ生が現場に出て、その姿勢で他職種との連携を意識していますし、ケースに対する捉え方がシステム論的に捉えられているのではないかと思います。
(深沢)
私の知人の臨床心理士が精神分析学が中心の大学院出身だったのですが、そこにいらしていた箕口先生のコミュニティ心理学の授業を受講して、目からウロコだったと言っていました。そういったインパクトはあると思うんですよね。そこにアドラー心理学が重なることで、コミュニティへのアプローチがより具体化されると思うんですよね。
(鈴木)
コミュニティ・アドラー心理学(笑)
一同 (笑)
(箕口)
大学院の教育はまだ、どちらかというと個人臨床中心ですね。
(八巻)
コミュニティ心理学にしろ、システム論にしろ、アドラー心理学の考え方と重なっているじゃないですか。
(箕口)
そう全部重なっている。
(八巻)
そこをまとめる必要はないけれど、ひとつのパッケージとして大学院教育に入ってきてほしいなと思いますよね。
(以下、後半へ)
この座談会の続きは、以下の本に掲載されます。
『臨床アドラー心理学のすすめ〜セラピストの基本姿勢から実践の応用まで』(遠見書房)
2017年8月1日発売